チェルノブイリの子ども達のセシウムの蓄積量 ー実験日の推測ともう一つのデータ

http://tchernobyl.verites.free.fr/sciences/smw-Galina%20Bandazhevskaya.pdf
スイスの雑誌に掲載されたこの記事の実験は 7歳から17歳の平均12歳の子ども達94人を対象に行われているんですが、実験の施行期間が不明なため、彼らが初期被曝を受けているか否か、初期のセシウム蓄積が高い時期を経ているかどうかがよくわかりません。
そのため、実験時期を推測する作業を行いました。

最初は
1998年には、バンダジェフスキー先生は収賄の容疑で逮捕され、翌年釈放、釈放後はミンスクで軟禁、その後フランスへという経過をたどります。 したがってこの実験は1998年以降ということはまずないだろうと考えましたが、

↑この推測はどうやら間違っていて、ミンスクに移動して以降、奥さんのバンダジェフスカヤ教授が参加された実験だそうです、2番目の名前の、V. B. Nesterenko,教授は、ミンスクベラルーシ大学とベラルド放射線研究所のTOPの方で、ヤブロコフ論文でもメイン著者として参加しています。
2001年に、銀の春サナトリウムで600人を対象とするビタペクトの実験がありました。おそらくそれか、あるいはその前の試験的な実験がこれにあたると思われます。
この実験には、もう少しだけ詳しいべつのレポートがありました。

Functional state of cardiovascular system in children, living permanently on the radiocontaminated territories
http://tchernobyl.verites.free.fr/z_angl/sciences_publications/Functional_state_cardiovascular.htm
スイスの雑誌論文よりも簡潔で、わかりやすいです。 興味深いのは、Table2とTable4が存在している点で、細かいところで参考になります。例えばTable2のNoise of systolic click に注目すると、グループ間の差はほとんどありません。 同様にTable4のECGでの詳細チェックをみると、1,2,3、の項目では、異常がむしろ実験後に増加している場合が見られます。

2004年に同じスイスの雑誌にだされた、ペクチン投与実験です。
http://www.smw.ch/docs/pdf200x/2004/01/2004-01-10223.pdf
Reducing the 137Cs-load in the organism
of “Chernobyl” children with apple-pectin
V. B. Nesterenko, A. V. Nesterenko, V. I. Babenko, T. V. Yerkovich, I. V. Babenko
この実験では、対象者はすべて1990年以降に生まれています。事故の直接の影響のない子ども達となります。彼らの実験前のセシウム蓄積量は 25〜40ベクレル/Kgです。1993年以降、セシウムの経口量を厳しく制限してきたベラルーシで、この値になるのは、ある意味当然なのかもしれません。 
こちら数字を見る限り、被験者の1/3が122ベクレルを超えていたバンダジェフスカヤ論文での被験者の一部が、1990年以前に(おそらく事故前も含めて)生まれている可能性は十分高いです。

とりあえず実験期間を2001年と仮に推定し、約半数が事故に何らかの形で遭遇するか、初期の高濃度セシウムの影響を被ったとして考察を進めることとします。

ーーーーーミクシより
naka-take
筆頭著者のGalina Bandazhevskaya氏は小児科医で、メアドを論文外で公開してそうに無いので、セカンドのネステレンコ氏にメールしたら良いじゃないか〜と思ったら、既にお亡くなりになっていたのね…orz
http://en.wikipedia.org/wiki/Vassili_Nesterenko
バンダジェフスキー氏は55歳で御健在のはず。
http://en.wikipedia.org/wiki/Yury_Bandazhevsky
今どこにいるのでしょう?
1990年から就任しているはずのGomel Medical Instituteが見当たらない・・・既に解体されているのかも
残るは禁断のCRIIRADか…ここ伝手に聞いてみるってのは、データの信憑性の問題が出るので、聞いたところで「その情報ってどうよ?」から抜け出せない気もしますが、まずは聞いてみました。
http://theboldcorsicanflame.wordpress.com/2011/03/27/criirad-commission-for-independent-research-and-information-on-radioactivity-international-campaign-no-radioactivity-in-our-food-international-nuclear-lobby-is-lying/
こことか見てるかぎり↓何らかのやり取りはしているっぽいので
http://www.voy.com/22070/3/313.html
何らかのレスがくればお知らせいたします。
改めて論文読むと、
1996年からサナトリウムでのペクチンの投下が始められた、とあって、検査対象の子供の年齢が7歳〜17歳なので、434の2は無いのかなぁ。
1986年の事故直後の被曝は、実験が1996年に開始されたとしても、7〜9歳の子供には関係ないはず。
ただ、どうしても気になるのが、Table1のグループを3つに分けたときの、数値のいびつさです。
94人を選んで、The children were allocated to three groups, depending
on their C-137 loads measured at entry. としたのならば、30人ずつでこんな綺麗な分布をしているのが不思議です。普通に考えれば、縦軸を人数、横軸を体内のセシウム蓄積量にすると、なだらかな(急かも)右肩下がりのスロープを描くはずです。それを人数で3等分にしてグループ1、2、3と分ければ、各々の集団内の標準偏差はもっと高くなるはずです。しかも食料自足率と対応していない。
なので、このサンプリング自体になにかしらのバイアスがかかっていると予想します。
ここらへんが聞けたら良いんだけどなぁ・・・


もち >456 リーフレインさん
http://chernobyl25.blogspot.com/2011/07/13.html
上記の内容にある
以下引用
>6. 7歳から17歳までの94人の子どもたちを、ホールボディカウンターで測定したセシウム137の汚染レベルによって、まず2つのグループに分け、ビタペクト1回5グラムを日に2回、16日間にわたって経口投与した臨床試験の結果、セシウム137の体内蓄積量において有意な減少がみられ、心電図も著しく改善した(EKG; Table 13.2)。
ここまで

は、同じデータと思われます。(2001年6月〜7月にかけて行われたとされる実験)
違うのは、片方はペクチンと商品名は書いてませんが、こちらは「ビタペクト」と使用したペクチンの商品名がでております。

ビタペクトが商品と認定されたのは2000年です。

上記サイトより引用
>3. 1996年、ベルラド研究所はセシウム137の排泄を促進するために、ペクチン性補助食品(フランスのメデトペクト(Medetopect®)およびウクライナのヤブロペクト(Yablopect®))にもとづく腸内吸着療法を開始した。1999年、同研究所はヘルメス社(本社:ドイツ、ミュンヘン市)と共同で、ビタペクト(Vitapect®)の名で知られるアップルペクチンを添加した合成剤を開発した。ビタペクトは粉末状で、ビタミンB1、B2、B6、B12、C、E、およびベータカロチン葉酸を補った濃縮ペクチン(18%〜20%)と、カリウム亜鉛、鉄、カルシウムなどの微量元素、および香料との化合物である。ベルラド研究所は、ベラルーシ保健省の認可を得て、2000年からこの補助食品を生産している。
ここまで

実験が2000年でなければ、1999年。
どちらかでしょう。

リーフレイン
>もちさん

そのサイト読むのはじめてです。 ありがとうございます。
その記述をそのまま下まで読んでいくと、

6.  7歳から17歳までの94人の子どもたちを、ホールボディカウンターで測定したセシウム137の汚染レベルによって、まず2つのグループに分け、ビタペクト1回5グラムを日に2回、16日間にわたって経口投与した臨床試験の結果、セシウム137の体内蓄積量において有意な減少がみられ、心電図も著しく改善した(EKG; Table 13.2)。

これがあるんで、もしかして、同じ実験の一つだったみたいですね。ということになると実験は2001年。
ああしかし、600人を対象にして行った実験でなんでいちいちレポートのほうの人数を小さくするのかな、、、全体数で出してくれれば、疑問の余地も出てこないのに、、

naka-take >460
データの抽出があったのかなぁ、と疑います。
@投与されてたのがビタペクトだったら、ビタミンとかの影響を考えないといけません。
また仮定が増えるのか・・・orz