「廃棄を待つ街」金城目ニュータウン

金城目ニュータウンの設計コンセプトは生活密着型だった。碁盤の目ではなく、袋小路や斜めの道、蛇行する道を組み込み、ブロック毎に一定割合の住宅以外の物件(不動産屋、花屋、八百屋、文具、本屋、喫茶店etc)が義務付けられていた。住宅街であるので、店舗物件への規則として、風紀を乱さない商売であること(飲み屋まで許容範囲)、景観に溶け込む概観であること、コンビニエンスストアは他商店を駆逐してしまうために不許可であることなどが詳細にもりこまれていた。ニュータウン内での商売でも採算が合うようにと、貸地扱いで賃貸料を低めに設定してメリットを提供し、その代わり住民の苦情が大きいときは住民投票によってたち退きを要求される場合があるとの条項まである。路線バス沿いの人通りが多いブロックには商店街にあるような店がぼつぼつと点在し、周辺部には診療所、幼稚園、託児所といった施設が駐車場を確保しながら位置した。

塀で囲まれているわけではないのだが、住民はほとんど町から出ることなく生活することができた。一種の共同体意識が構築される。それは借地や賃貸住宅の経営母体が自治組織とリンクして存在するということで強烈に作用し、一種の結社的な相互扶助組織に育ちつつあった。

町の中を大きく蛇行するS字を描いて路線バスが通り抜けている。バス停は5つ。まんなかのバス停付近は広いロータリーになっていた。中心部は「中央広場」と呼ばれ、軽く段差がつけられた空間で、イベント用に借りることができた。大容量の電源と大テントが使用できる。通常はテント用の途方もなく高い支柱がぽつんぽつんと寒そうにそびえたつ。

ロータリーの地下駐輪場は設計者の希望で迷宮になった。設計者からはこの迷宮を作らせてもらえるのなら設計料も施行管理費用もいらないと破格の申し出があったため、町長が話しに乗ったらしい。(工事費そのものは払った)ただし本当に迷ってしまってはまずいのでそこのところを強く確認したという話しだったが、二つ返事で了承した設計者の頭の中からはすっぽりと抜けてしまった。利用者は慎重に自分の分かる範囲に自転車をおくはめになっている。とはいえ、出口は円形の広場の6カッ所にあるため迷ったらまず外に出ればなんとかなる。リサイクル素材の建築用ガラスブロックがいたるところに埋め込まれ、外光を効果的に使った明るい幻想空間が中央広場の地下に広がっている。利用者は口では文句をいうが、結構誇りに思っている美しい空間だった。

中央広場の正面は、1階は貸し店舗の町舎がある。2,3階には200席程度の小ホールと、町の事務所と町長室、多目的室と図書室だ。災害時にはここが避難場所となる。災害用の備蓄と貯水タンク、消防団の設備も備わっている。警察署だけは中央広場の反対側で、一緒にすると気まずいと町長が主張したのだそうだ。
特筆すべきことに、この町に学校という名の校舎はない。年齢構成が変化したときに廃校になるのは無駄だからという理由で、町舎の多目的室を小中学校の教室として利用していた。年度ごとに必要に応じた教室が固定占有という形で利用される。つまり人数が少ないときは一般に貸し出しされるのである。多目的利用を前提に自由度の高い設計がなされていた。私学進学が盛んになった昨今では片道1時間以上かけて通学する生徒も稀ではなく、なまじ公立学校なぞはじめから用意することもないだろうというシビアな計算も働いていた。

中央広場の大テントは、今はない某サーカスのテント様式と同じもので、万華鏡のように華やかに塗り分けられた円形巨大テントだった。テント設置には専門業者が呼ばれた。支柱はすでにあるし、観客席スタンドや、床を張る必要がないので格安にしてもらえるわけだが、1回の費用を計上するたびに、いっそ固定屋根にしてしまったほうが安上がりではなかったのかと議論が再燃する。町長は、「たまにあの華やかなテントを見るとお祭り気分になるじゃないか」と嘯いている。実際のところ、同様の建物の建築費用と比較すれば、100年間、毎年数回テントを張ってもお釣りがくるのだった。

町長は毎朝自宅から自転車で町舎へ通う。軽く起伏のある丘陵地帯にある町なので、9分間の全力疾走は腹の出始めた彼には結構な運動になるらしい。前日に飲みすぎた朝など、9分が15分にのびる。町長の通り過ぎる時間をみて町長の昨晩の酒量を予想するのが角のタバコ屋のおばさんの日課になっている。おばさんは町長が遅い日は、町舎御用達の弁当やに急いで電話をかける。メニューの変更を知らせるのだった。弁当屋の亭主はおばさんに情報代として残りおかずをわけてくれる。



背景のほうが作品よりまだ面白いな、、うう