正岡子規国際俳句シンポジウム

http://www.ecf.or.jp/shiki/2000/sympo-j.html

(芳賀)
ボヌフォワさんが自分の作品を引用して、そのとき、俳句に近いものを感じたと言いました。それは、1953年に出た最初の詩集「ドゥーヴの動きと不動について」の中の詩です。そして、次のようにおっしゃっています。自らのさまざまな幻影にしがみついている自我というものが、外敵な世界の明々白々な存在、明証性、エビダンスといっていましたが、その明証性のなかに解消してしくはずである。それが短詩型というものである。そういう難しい自己内面の解明の途上で、私は俳句というものと出会った。俳句とはまさにポエジーとサジェス、ポエトゥリーとウィズダム、英知の教えであって、我々の気掛かりなどに全く無縁で、しかも温かく我々を迎え入れてくれる。無音の現実が、目の前にスックと立ち現れるような経験、そういう経験を与えてくれるのが短詩型であり、そして俳句である。自分の詩で敢えて探すならば・・・というので、詩集から2行の詩を引用されました。
「お前はランプを手にとった そして ドアを開ける ランプなど何になろう 雨が降っている 夜が明ける」そういう詩です。

中略
(宗)
相互に無関係でいて関係があるような、AとBとCとのどれがどれに等しいのか、はじきあうのかわからないけれども、確かに心のなかにしみ込んでくるような現実、それが、僕は詩ではないかと思います。ということは死と生、そもそもの別れる場所、状態に近いようなところにあるのがポエジーではないかと思っているんです。

中略

(芳賀)
今までのフランスの詩、ヨーッロッパの詩、ゲーテでもボードレールも皆、だから私は世界と向かって闘うんだとか、私の人生はこういう運命に従っていたとか、歴史とはかくなるものだとか、男と女の運命はこういうふうに交錯するとか、そういう大議論を始めるのがヨーロッパの伝統詩でした。 しかし、さっきボヌフォワさんの講演のなかに出てきたように、ランボーあたりから、そういう長たらしいデスクーヴ、演説ですね、議論を詩のなかに盛り込むことをだんだんやめていくようになりました。一瞬の現実、それを詩のなかに取り返すことを詩人たちはやるようになってきました。ランボーから、マラルメもそうでしょう。それから、日本に大使としてやってきたポール・クローデルもそうでした。それから、戦後50年、さまざまな詩人が出てきて今のボヌフォワさんに至っているわけです。

中略

(金子)
 少し言わせてください。まず、このランプの詩です。ボヌフォワさんが自然に開眼したときの詩だと言っておられました。ランプなどいらない、雨が降っている夜明けがあればいい、雨の広がりがあればいいんだと。こういう詩だと言っておられたように思います。彼の自然発見と、この詩を受け取りました。
 自然発見に至るボヌフォワさんの話しの中で、詩的体験そのものに心を開くということを言っておられました。短詩型からそういうことを教わったと。詩的体験そのものというのは、思弁の世界ではない。物語りを避ける。もっと生の現実。現実そのもの。それに短詩型というものはひかれている。生な現実を感受する、それが短詩型の基本であると私は受けとめました。
中略
俳句のことを語るときに、「ケシ粒に須弥山を入れる」という諺を用います。ケシ粒は小さなものですが、精神の込め方によっては、体験の深さによっては、須弥山という大きな山、膨大な宇宙をも包含する山を入れることができるということです。その考え方は、日常体験というものの感動を逃さずに書き取る、そこから出発するのではないでしょうか。さっきボヌフォアさんも、短いものだけどそういう世界が書けるんだということをおっしゃっていました。基本はそこにあるからだと思います。そのことに気付いて、次第にその姿勢を大事にしているうちに自然に目覚めていった。これはさっきのお話からしても、ヨーロッパにとっては非常に画期的なことになるんですね。
 この詩を読んで私は訳しました。直訳すれば非常に簡単です。「雨降り止まぬ夜明けランプなどいらぬ」。これでいいんですが、これに俳諧を加えると、「雨降り止まぬ夜明け禿げ頭でよい」。(笑) こういうふうにもなります。

中略

(芳賀)
 ボヌフォワさんの講演に出てきましたが、短詩型、ショートフォームの詩はどういう機能を持つかというと、ボヌフォワさんの言葉では「詩的体験そのもの。詩以外の何ものでもないような独特の体験に向かって、自らの身と心を開く能力を増大させてくれる」ということでした。短詩型というのは、これまでのヨーロッパ・アメリカの長い伝統詩、物語性や思想を盛り込むような長い詩と違って、直の印象から距離をおこうとする物語的な誘惑を免れています。直の印象から距離をおこうとするのが物語的な詩、思想的な詩でありますが、そういう誘惑から免れている。だから、他のどんな詩よりもずっと自然にある、生きて体験された瞬間とぴったり一体化することができる。物語詩や思想詩のようなものだと、そこに必ず論議だとか、話の筋、原因結果という展開を介在させてしまう。だから、生の経験が詩のなかに出てくることはなかなか無い・・・ということをおっしゃってました。

中略

(有馬)
 ここに正岡子規の登場を願わないといけないと思います。子規がたぶん日本人のなかで一番最初に、西洋の長い詩と日本の短い叙景詩との違いを明確に、たった25歳のときに言ったと思います。子規が言っていたことは、俳句というのはマイナーポエットだと言われていた明治の時代に、そうではない、ということです。西洋の詩は思想があったり物語を言わないといけないから長いんだと。日本は叙景詩であり、自然を詠むから短くていいと。どちらがマイナー、どちらがメジャーだということではない、という文章を書いています。ボヌフォワさんのお話を伺っていて、短詩型に関するご認識は、まさに子規の認識と一致していると思います。

 それともう一つ、この短詩型から外れて申し訳ないけど、我々が考えなければならないのは、字の持っている象徴性ということです。ボヌフォワさんが、これは表音文字ではできないとおっしゃっていましたが、このことについてははエズラ・パウンドも随分漢字について書いていましたね。漢字の持っている象形性、詩性、ポエジーということを書いていました。これは、西洋の方々の象形文字に対する一つの憧れ的なものだと思います。でも、西洋の現代詩をアルファベットで書かれる人たちも、カミングスのようにアルファベットを大きく書いてみたり、あるいは三角形に字を並べてみたり、その中にやはり造形性というものは入っていると思います。

中略

(芳賀)
 確かに、正岡子規は明治になって、文明開化の時代に、自己を教育していった人であり、子規の学びつつかつ敵対しようとしたのは西洋の詩の世界でした。なんとか俳句、短歌の日本文明の中において持つ意味を、新たに把握し直そうとした。だから、あの革命がありえたわけです。しかも、その革命をするのに子規は写生ということを学びました。実に有効でした。さきほどのボヌフォワさんの講演の中に「詩人は画家だ」という話しが出てきました。それを、正岡子規はやっていたんですね。ボヌフォワさんよりも100数十年前に。よくものを見て、絵の変わりに言葉で表現することによって、それまでの凝り固まっていた短歌や俳句を全く新しいものに生まれ変わらすことができた。日本のランボーは子規だったということを、今日改めて感じました。ランボーを日本で探すと正岡子規だった。


(金子)
 私も子規にそれを感じていまして、子規の言っている写生というのはいろいろな誤解があって、まだ整理されていないと思いますが、基本的には、今、ボヌフォワさんが言ったとおり、生の体験ということだと思います。生の体験を俳句に書き留めていくことを写生だと考えていた。じゃあ、どう書くか、ということがテクニックとして出てくるわけですが、それにあまりにも拘りすぎていたんじゃないかと思います。問題は生の体験を書くこと。生の日常体験が大事だということを、今、まさにボヌフォワさん証明してくれたわけです。彼の体験としても。俳句は日常のこまこました体験を書くわけですから、純粋に感性が働けば一流の詩であるというのが私の持論なので、それを裏付けてくれたような気がしました。
 それと、今一つ。明治10年代というのは、当時学者の書いたものを見ると、日本では進化論が非常に流行していた時代です。ダーウィンが紹介されたり、スペンサーが紹介されたり、そういう時代でした。そのときに、進化論を受けて、長編がよろしい、自由詩がよろしい、新体詩がよろしい、小説がよろしいという主張が出てきた。これが進化であるという考え方。それに対して正岡子規はうんと短いものがよろしいと、逆をはったんです。これは大変素晴らしいことだと思います。


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たまたま拾ってきたんだけど、俳句の会なんで、ほとんどの会話は俳句を絶賛することに結びついてました。で、とくに短詩としての部分を抜粋。。