オピニオン現代詩

東亜日報

JANUARY 02, 2008 07:16

詩は「言葉を材料にして作る芸術」と呼ばれる。文学ジャンルの中で、小説は18世紀に入って誕生したのに対し、詩は文字時代を通じて人間と歴史を共有してきた。しかし、詩を書くことが普遍化していた昔も、詩に関心のない若者が少なくなかったらしい。紀元前6世紀に生きた孔子は、「諸君はどうして詩を学ぼうとしないのか。詩は人々の気持ちを高め、ものを見る目を与え、人付き合いをよくし、それとなく政治を批判するようにする」と教えた。

◆最近、海外の文壇で詩の比重が大きく減少している。海外の書店の陳列台から、詩集はほとんど姿を消し、詩集を出すとしても、たいてい自費出版で少数の同好者が楽しむレベルにとどまっている。詩のゆったりとした速度と韻律が、忙しい現代人にはマッチしないようだ。しかし、韓国は例外的に詩の生命力がよく維持され、「詩の王国」「詩の共和国」といわれていた。1990年代まででも、ベストセラーの詩集は数十万部売られ、海外の詩人にうらやまれたものだ。


◆韓国現代詩の嚆矢である崔南善(チェ・ナムソン)の「太陽から少年へ」が発表されて今年でちょうど100年になる。詩の歴史にとって意義深い年だ。しかし、詩人たちの表情は明るいばかりではない。詩集の販売量が急減しており、韓国にも「詩を読まない時代」が到来したのではないかという危機意識が高まっている。しかし、まだ落胆するのは早い。周囲に詩を書くという人がけっこういるのを見ても、韓国人の詩心はまだまだ健在であることが分かる。


◆インドのガンジーは、「詩人は人間の胸の中にある善良な心を呼び起こすに十分な人」と称えた。どこの国より詩を愛する韓国の詩人たちは恵まれている。だからこそ、詩人の役割は重要だ。朝鮮の学者、徐ユグ(ソ・ユグ)は、「学問を長く積み、思考を深め、次から次へとわきあふれたものを、ようやくそれらを取り出して文章にしてこそ、いつまでもしっとりして乾かないものになる」と語った。簡単に時流に流され、軽々と詩を書くような詩人は、韓国人の読みたい詩がどのようなものなのか、深く悩んでから書くべきである。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com
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