タリバン政権下の女性の悲しみうたった詩人、死後も高まる評価

2007年11月12日 09:39 発信地:カブール/アフガニスタン
【11月12日 AFP】アフガニスタン西部の都市へラート(Herat)の自宅で、Nadia Anjuman(享年25歳)の遺体を警察が発見したのは2年前。Anjumanは、アフガニスタンの女性であることの悲惨さをうたった辛らつな詩で、文学界では当時すでに有名な詩人だった。 警察は、撲殺の容疑でAnjumanの夫Farid Ahmad Majeedniaさんを逮捕した。だが、Majeedniaさんは殴打したことは認めたものの、殺害については否定。6日、裁判所はこの事件を自殺と判断した。
 ダリー(Dari)語(ペルシャ語系)で書かれたAnjumanの詩はその死により一躍脚光を浴び、現在、数か国語に翻訳されている。その内容は、30年にわたる戦争や、1996年から2001年まで続き女性に対する厳格な対応で知られるタリバン(Taliban)政権下で、保守的な文化に囚われたアフガニスタンの女性の苦境を書きつづったものだ。
 例えば『Useless』と題された詩には、「鳥かごから飛び立つ日はうれしい。この孤独を置き去りにし、思うままに歌うとき、わたしはそよ風の度に揺れたか細い木ではなくなっている。わたしはアフガンの女性、いつも泣いている」と書かれている。 Anjumanの作品をフランス語に翻訳したLeili Anvar氏は、その作品は「女性であり、アフガニスタン人であることに関わる深い悲しみ」を思い起こさせてくれるという。タリバン支配下では、女性は学ぶことも働くことも許されず、自宅に縛り付けられていた。 同国ではタリバン政権が崩壊した後も、女性への差別や虐待が改善することはほとんどなく、焼身自殺を行う女性たちは後を絶たない。こうした状況は、芸術、文化、文学が盛んなことで知られる人口200万人大都市のへラートでも同様だ。 有名な文学連盟Herat Literary CircleのAhmad Said Haqiqi氏はAnjumanが死去したことを知ったとき、「彼女はペルシアの偉大な詩人となりつつあった」と語った。Anvar氏もこれに同意し、「その年齢に比べ、彼女の作品が極めて成熟していたことは驚くべきことだ」と語り、Anjumanはペルシャの自由詩の達人であり、言葉の音楽の名人であったと評価している。Anvar氏は近日出版予定のアフガニスタンの作品を集めた詩集の数ページにAnjumanの詩を掲載する予定だ。 へラート大学でAnjumanを指導した教授のひとり、Mohammad Daud Munir氏は、「Anjumanの作品には深く包括的な見解が表れていた。Anjumanの死はへラートの文学界にとっての大きな損失だ」と語っている。
 Anjumanの最初の詩集「Gul-e-dodi(暗い赤い花)」は、Anjumanの死の数か月前、まだ大学生だったころに発表されたもの。Munir教授によれば、Herat Literary Circleはその後、80作品を収録した2冊目の詩集を発表し、以後定期的に出版しているという。海外では、フランス語、英語、イタリア語に翻訳されている。 Anjumanの死は、親しかった人々の記憶の中に今も鮮明に残っている。親友で大学でも一緒に学んでいたNahid Baqiは厳しい口調で語った。「皆が忘れたがっている。自殺だと結論付けさせるような圧力が当局にあった」 へラート大学の図書館館長も務め、Anjumanとの一人娘を育てている夫Majeedniaさんは、こう語っている。「彼女のすべての詩は、家に閉じこめられた悲しみを歌っている。2年が経った今でも彼女の死を思うと手足が震える。彼女がいなくなったことで、わたしの中で多くのものが終わりを告げた」(c)AFP