竹輪絵が暗い

梁山泊に投稿したのだけれども、悪意がこもっている、暗い、嫌な気分になるとさんざんな評価の詩。嫌な気分になる理由は、発話者が他人事で書いているせいだそうだ。
他人事である人間と、明日はわが身と思う人間とに峻別される詩で、しかも書き手が他人事として書いてあるだけに、差別感が匂う。
実際、イメージしていたのは確かに他者の観察であって、自分はその場に置かなかったなあと思う。どこかに頭にあったのは、有象無象の中から真を拾い上げる他者の姿であり、その他者は有象無象から真を拾い上げなければ生きていけないほどに切迫もし、取り付かれてもいるのだという図だった。あたし自身は、それほどに真を求めてはいないという軽薄さというか処世というか、自嘲にも近いかな?そんな気分がどこかにあるので、絵の中には入れなかった。無責任な逃げなのかもしれない。