「正義が行われる部屋」

選者指定コンペスレッドに投稿、題は「正義」


ナナシーさんの評
硬質でシュールレアリスティックな作品。
ダリやデ・キリコギリシャ神話をモチーフにした絵画を見ているような気分になった。
あるいは作者のイメージの源流もそこにあるのかもしれない。
過剰なまでに名詞が用いられ、それぞれのパーツは最初は並列的に配置されているが、
部屋の中心にあり作品構成の中心にもある天秤を軸として、次第に動き出し躍動を始める。
「塩味の足らない」という表現に違和感を覚えたが、ここでいう塩味はもちろん味覚的な意味ではなく
メタフォリカルで形而上的な用法であろう。
ただ、どうもこの表現は作品の核となるべき予感を持ちながら、同時に浮き上がってしまっているように感じる。
「塩味」という俗物的な響きが作品のテンションの統一を若干揺らがせてしまっているのだろうか。
一つ一つのパーツが丁寧に緻密に描かれていて、見事に神話的な正義が作品内にビジュアル化され、構築されていると思う。
人物が誰も登場しない、書くのが難しい作品だったと思う。
正直一読した時はあまり評価が高くは無かったのだがあ(最初に付けた評点はC+だった)、時間が経ってから気になりだした。読み込むほどに想像力を呼び起こされた作品である。
この作品は深い意味の含みはそれほど感じず、読み手に感覚的、形而上的な正義の概念を提示する事を狙ったものではないかと思う。
ぜひ書いた方にコメントをいただきたい作品である。

評価 発想 C 表現力 B− 構成 B− センス B 面白さ B− テーマ B+ 想像力 A− 
総合評価 B


写実的でありながら非現実的なのが面白かった。ダリの絵が動き出すときっと楽しいだろうなといつも思うのだが、それを本当に見せてくれたような感じ。 これだけ隙が無く描写し切ったのは大した想像力だと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そのお礼


「正義が行われる部屋」書きました、、自虐的表現をいたしますと「視覚的描写に逃げた駄作シリーズ」と銘打って
いるタイプの作品であります。(だけれど、たまにむしょうに、執拗なイメージ描写を
書きたくなるんですよ。。)”塩味のきいてない”というのは、法律が私的制裁を許可しないかわりに、
人間の復讐心のいくばくかを満足させるための折衷ルールであると定義すると、つねに正義の天秤は
当事者にとってココロからの満足を得られるほどの結果はもたらさないだろうという推測にたった表現です。
例えば交通事故で愛児を亡くした親がいたとして、その悔しさは多分死刑をもってすら購うことはできない。
もっと的を射た表現を探せばよかったなあと評を読ませていただきながら反省しました。ありがとうございます。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
要推敲。。(とはいえこの詩は面白くない、、なにが面白くないといって生きた人間がないから。思想的なイメージだけで飛ばすやちゃあ 他人行儀で白々しい。)