定型のもたらす可能性を日米韓の研究者ら討論 国際俳句シンポ

asahi.com】2008年03月04日14時29分

 第10回国際俳句シンポジウム(日本伝統俳句協会主催)が、このほど兵庫県芦屋市の虚子記念文学館で開かれた。韓国や米国の研究者を交えた4人のパネリストが、「定型が俳句にもたらすもの」をテーマに語り合った。司会は稲岡長・日本伝統俳句協会副会長。

 基調講演は、国際俳句交流協会会長で「天為」主宰の有馬朗人さん。「俳句の定型について」と題し、ボードレールの詩を引用して西洋のソネット李白杜甫に代表される漢詩、韓国・朝鮮の時調(シジョ)を紹介しながら、和歌や琉歌、新体詩、自由詩まで幅広く解説。最短詩・俳句との表現の差異を浮き上がらせた。

 金泰定・韓国外国語大学名誉教授は「十七音定型の俳句は、連想を呼び起こす詩。漢詩と違って、思想を盛り込まないことで、無常感、禅に通ずる世界を持ち得た。季語には暗示性があり、和歌のような七七がないことで、読み手に鑑賞、解釈の自由を与えたことも見逃せない」と話した。

 俳人長谷川櫂さんは「定型は、大いなるものが与えてくれた器、恩寵(おんちょう)だ。短いことは不自由だが、季語を置き、切れの働きにより命が宿り、人間を超えた大きな世界との交信とでもいえるもの」。有馬さんの口語体俳句の可能性についての問いかけには「口語体は、人間同士の語りかけ。成功したこともあるが、試みはこれからも続くだろう。評価は今後」と応えた。

 シンガー・ソングライターで『虚子百句』(稲畑汀子著)の英訳に携わったジェームズ・W・ヘンリーさんは「俳句は大自然を再現する芸術。五七五音形式には、調和と優雅さがあり、人の心を動かす魅力がある。ただ、形式は詩歌に仕えるべきもので、その逆ではない。音楽性だけでなく意味も大事だ」と語った。
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