遺跡の町

☆レイヤー
 僕の町は遺跡だった。 「たった一つ遺跡がある」なんてちゃっちいもんじゃあない。有史以来一度の地震もハリケーンにもあっていない安定した谷間で、街全体が遺跡の上に遺跡が重ねられた複合遺跡だった。僕の家も200年前の家の壊れやすい部分を取り除いてその上に重ねられている。当時使っていた階層のうちの2階分は今も使用可能で、僕の部屋は実はひいおじいちゃんの時代には居間だったらしい。さらに下にはまた数百年前の階層、更に下にはさらに数百年前という具合に、様式も建材も雑多な構築物が複雑に絡み合い、高層であればあるほど価値が高いとされていた。もはやもともとの地表は目にはいらず、構築部同士を繋ぐ石の橋がいくつも点在している。狭い階段状になった道がもつれた蜘蛛の巣のように街中を這い回り、高いところから低いところへワイヤーロープが張られていた。慣れた大人は”レイヤー”と呼ばれるワイヤーを走る滑車を使って、(手でつかまる輪っかと足をひっかける輪っかがついている)2,3階層下へとすべり降りていった。


☆骸骨サッカー
 僕の学校は家から数ブロック離れた所にあって、僕は毎日5つの階段をくだり、トンネルを2つと橋を6つ12の階段を上がって通っていた。1000年ほど前に墓場だったトンネルを使うと、とても時間が短縮できた。顔の数十センチ横に骸骨が幾つも並ぶ道で、僕はいつも息を止めて走り抜けていった。その一方で、学校仲間が集まったときの僕らは子どもがそうである程度に残酷で無神経で、骸骨サッカーで遊んだりもした。もちろんそんなことはしてはいけないことだったのだけれども、してはいけないことほど楽しかった。


☆ガイド
 僕たちに一番人気のあるバイトは「ガイド」だった。迷路のように複合化した街は普通に住んでいても迷うほどで、下部の遺跡部分に迷い込んだ観光客が消息不明になってしまうのもままあった。慣れた人は地区ごとにガイドを雇い道を確めながら目的地へとむかう。 僕たちは学校単位で 一種の鑑札みたいなものを発行して、「1、わざと迷わない。2、安全迅速に目的地に向かう。3、適正価格で荷物も運ぶ。」ことを保障しあった。最上級生による審査を経た鑑札を持つことが出来たこどもは少し余分にチップを貰うことができた。 僕の学校の鑑札は街でも随一の信用度があったのだ。僕らは毎日のように新しいルートを開拓したり、遺跡マップを更新したりと、努力を欠かさなかった。僕らの学校は、街の玄関口にあたる遺跡駅とメインモールを校区の両端に抱えているため、客に事欠くことはなかったのだ。


☆僕らは遺跡になっていく
 僕らはいつも「街には世界の全てが眠っている」と感じていた。他の街ならばとうになくなっている全てが今にも血を流さんばかりに眠っている。僕らにとって過去は足のすぐ下にあるもので、飯のたねで、僕らの家で、死で、いまだ探索されえないものだった。だから街の外へ出ていくか、街の内部を探していくか、というのは将来を考え始める頃の僕らにとって大きな命題だった。街の外は町の内部よりも単純で色あせて見えてしまうのだ。事実、教育と生活費のために他所に出た人々の多くも、やがて街に戻ってきた。僕らの一部はもう遺跡になってしまってこの街につながっててしまっているのだと思う。


☆ハンター
 遺跡調査人という職業があって、僕らの中でもとくに遺跡に取り付かれた数人はこの職業についた。ひたすら調査し、行政府に調査の報告をして給料を頂く。ハンターの取り締まりにもあたった。長年の調査でとりやすい宝はとうになくなるか、登録されて管理されているかしているにもかかわらず、まだ深部へともぐるハンターはいた。口には出さないが、正式な遺跡調査人になれなかった数人がこちらへ回ってしまうこともままあるらしい。今日、僕は  ”大いなる扉を見つけた。”  とかかれた古いメモを拾った。300年ほどまえ使われていた流麗な筆記体で書かれたメモだった。今日僕は古いメモを拾った。今日僕は古いメモを 僕は 僕は僕は、僕はきっと大いなる後悔を抱えながら笑みを浮かべて、この街に飲み込まれてしまうのだと思う。


☆石板芸術
街の名産品、装飾石板。薄い石板に意匠を凝らす。
技法には様々な流派があった。今一番人気はラ・キュと呼ばれる技法で、釉薬をかけて焼き上げる。


☆優秀な石工
 谷間を囲む山では、よい石材が採れた。街は石を掘ってできた穴を埋めていくようにも広がっていた。一種の流行もあるのだろうか、高く、高くと伸びる時代と、深く深くと潜る時代がランダムに訪れていて、遺跡層は時系列に重なっていない。石を掘ってしまえば当然出来てくる空洞を十分な強度に補完する必要もあったのだろう。 精緻な建築技法が要求されてきたのだ。優秀な石工はとても尊敬される。
 ハルさんは代々続く石工の家に生まれた。すでに建材そのものとしての石材は枯渇していて、石工の仕事も昔日の姿はない。一方で高層化してしまった街に、何トンもの重さの建材を使用することは不可能でもあった。ハルさんは、石板を切り出して装飾を施す。ハルさんは時折、遺跡の深部にもぐっていく。古代の遺跡を勉強するためで、数日分の食糧とライトとカメラとスケッチブックを持って、いつ帰るとも言わず、消えてしまう。ハルさんの手元には膨大な枚数の資料写真とデッサンがたまっていた。写真は幾時代もの美と力で魅了する。ハルさんが特に好きなのは、BW100年頃の時代で、今ではいない動植物が躍動感に満ちて壁一面を彩る。厚さ50センチを超える分厚い石を潤沢に使っていたころで、損傷が少ない。いつかハルさんが遺跡の深部に出かけたまま帰ってこない日が来るのではないかと思っている。 たぶんそうなってもハルさん自身は本望なんじゃあないかと思う。


☆葛篭(つづら)に入ったパンとチーズとワインと林檎
 人はレイヤーを滑り降りることしかできないが、10キロ未満の軽いものであればレイヤーを引き上げるときにくくり付けて、上層へ運ぶことができた。ガイドの仕事の一つはそれで、頼まれたものを頑丈な葛籠へ入れてレイヤーに付け、引き上げる。ワイヤーロープの上か下かどちらかには荷物の受け渡しと保管のためにガイド仲間が待機していた。



☆帝国の夏の離宮
 彼らはやってきては、また、いなくなる。



☆スクラップビルド教
 街は常にこの命題に頭を悩ましている。いつの時代にも「すべてを取り去って一から作り直さないとこの街は崩壊する」と予言する派閥がいる。地震はなくても、自重はある。



☆黒こげ長官
 AW215年に大規模な火災がおきた。当時使用していた街の4分の1が被害にあい、一万人以上が死亡したと伝えられている。 時の長官は延焼を避けるために、火災区域を閉じるように命令を出した。今もその時閉じられた扉が黒こげのまま残っている。後日開けた扉の内側には逃げ遅れた大勢の人が折り重なって死んでいた。