沖縄の集団自決における「軍による命令」記述の削除について、マイミク氏日記よりメモ

2007年03月31日
07:47 リーフレイン |

うちの姑は戦時中に監視隊という通信部で勤務していたのだけれど、普通に、「鬼畜米英がきたら、自決しろ」って言われてたそうですよ、すっぱりと「女の子は強姦されたり色々あるから」って口にして、いかにも当たり前という雰囲気で。
あたし自身は話ししか知らないのだけれど、「日本軍の命令」というより「世の中の当然」という意識に近かった気がするし、一方ではそれをマジに風評してしまうほどに日本軍そのものも鬼畜であったり、鬼畜な風景を大陸で見てきたのかなと子供心に思ってたんですよ、(つまりお互い様)そういう意味では実際に危惧を強く感じている軍人さんがいた島のほうが「当然の圧力」が強かったかもしれません。また、軍人さん自身もそういう目に自分たちの姉妹や娘が遭わないように頑張って守っていたっていう気持ちもあるだろうから。(守りきれないのなら一緒に死のうという美学も当時あったような気がします)


2007年03月31日
07:47 リーフレイン | 削除

「日本軍の命令」という言葉はそもそもイメージが違うような気がします。 圧力はあったというのは事実だけれど、それは「命令」という形ではなく、美意識の圧力に近い。美意識を生存よりも優先させてしまうにはそれを強要する存在が必要だったということだけだろうと感じます。この記事というかこの問題そのものが「戦争」の狂気とか、当時の共同体意識の強さをあまり理解していない論調のような気がするんですよ。
個人の生存の価値が今ほどに高くなかった時代だったと思います。

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ここで夜歩くメルヘンさんから、史実としての検証で、実際に示唆があったらしいという話がはいります。
軍の責任は上に立つものとしてやっぱりあると思うという話でした。

夜歩くメルヘンさんの書き込みを見て、自分の認識が甘かったことを痛切に感じます。
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2007年03月31日
19:04 リーフレイン | 削除

だんだん、事実を掴むことも、当時の雰囲気を掴むことも難しくなっていきますね、、多分今の若い人には貞操を守るために自死を選ぶという感覚すらわかりにくいだろうし、同時に、「貞操を汚された娘は恥をさらすよりも死んだほうがいいのだ」という倫理基準があったというのはさらにわかり難い。一事が万事このとおりで、本当に違うのだと姑と話していてすら思います。


2007年04月05日
10:28 リーフレイン | 削除

誤解の余地のある書き方をしてしまったみたいです。
この場合の美意識は、個人の美意識ではなく、集団の美意識ーつまり建て前ーのことです。個人の意志として自決を選んだわけではなく、同調圧力が強かったからという理由だったのではと思うわけです。建て前と本音のうちの前者が圧倒的に強い時代だったと思います。その同調圧力の最たるものが軍であったことは実にありそうなことで、もし家族同士が顔を合わせて自決かどうかを選んでいたとすれば、たとえ世の中的に「自決しろ」と言う話しであったとしても、きっと「命が大事」を選んだであっただろうと思うのです。本音と建て前を選ぶことが可能な瞬間があるとすれば、同調圧力の薄い場面でしかないのでしょうから。 否応なしに追い込まれてしまった犠牲者の方々の無念を思うと本当にやるせないです。そして多分、自決を迫った側にはもしかして、罪悪感すらなかったのではないだろうかとも思うわけです。大変、怖い部分です。

 個人の意志 という概念そのものが、市民レベルできちんと確立するのも、戦争のあとだったのではと感じています。現在ですら、というか私自身ですら、「個人の意志」が確立されているかと問われれば、かなり危ないなと感じます。 個人の意志=我儘勝手ー>悪 という単純な図式を書きやすい。現在ですら書きやすいので、どの自分の意志が主張してしかるべきもので、どれは社会のなかで生きていくのに不適当であるかをいつも計りつつゆれているわけです。 60年前であれば尚更そうであったのではないでしょうか?

軍側に自決せよという圧力が存在したのはきっとそうだったろうと思います。責任があるというのも賛成いたします。が一方で、暴風のように吹き荒れていただろう建て前(お国のため という言葉もそうです)と権力がくっ付いていた時代の一体どこで、批判精神を生かすことができただろうかと問われれば、{自分であったらどうだろうかと考えるほどにも) 大変難しいだろうと感じます。しかし、一方で、その難しさを少なくとも権力側ではきちんと理解して、客観(あるいは批判)の眼を持つべきだったのだろうとも反省しますし、さらに大事なのは現在に、そうした反省は生きているのか?と問うことだろうとも思います。

2007年04月05日
12:31 リーフレイン | 削除

>白井さん
前述しました私の姑は、玉音放送で負けたと知ったときに、「頭のいい人がたくさん上にいたはずなのに、なんで負けたんだ」と思ったそうです。自分自身は精一杯お国のために尽くして、犠牲も払ってきて、なんでこんな思いをしなければいけないのだという憤りが強かったのだそうです。”考えることは自分の仕事ではない”という前提がそこにあり、また”自分の手を出すべきことでもない”という一種の倫理感すら感じます。この認識は、現在にいたるまで変わることがなく、「まつりごとはお上の仕事、自分は自分のことをしっかりすること」という信念で生きています。
一方で、私の今は鬼籍に入っております父は、昭和の生まれで、終戦時に高校1年(旧制中学1年)でした。父は痛切に次の時代を担うのは自分たちであり、自分たちが考えなければいけないのだと感じたらしいです。既に、父の世代はあの戦争が愚挙でしかないという認識があったわけです。3年後に高校卒業時に答辞を読んだそうですが、原稿用紙10枚ほどの内容を、下原稿もなしにとうとうと語り、先生方も一体なにを喋ってしまうのかと大変怖かったという話を聞いております。
安保闘争や、学生運動は、父の世代の次でした。やはり、時代を作るのは自分たちだという義務感に駆られてです。そして私自身はそうした嵐が過ぎ去った次の世代で、ノンポリな学生に育ちました。平和であることで精神が安逸に引っ張られたのかもしれません、国を背負うような義務はあまり感じていないです。 ただ、姑の時代と異なるのは、上にいる人がさほどに賢いわけではないのだということを感じていることかもしれません。もちろん同様に一般人もさほどに賢いわけではないのですが。私達は、私達が衆愚(暗愚)であることを認識している時代なのだと思います。