妄想3

こうしたことを考えるきっかけってのは、詩集というのが詩人さんにとってまったく収入源にならないという実態があるのを知ったせいです。
商業ベースに乗れる詩集を刊行できる生存している詩人さんというのははっきりいって、谷川俊太郎先生お一人ではなかろうかという寒い実体のなかで、新人どころか中庸の詩人ですら、数百部単位の、100万円程度の身銭を切っての半ば自費出版の道しかないようです。

詩そのものの需要はないとは言わないけれども、なんというのかな例えば相田み○○先生風のものや、イラスト付人生訓、自分史的詩集といったものと別の道筋で純文学的な詩集需要を掬いあげるようなものが未成熟。
まあ、詩集というよりも私集というのがふさわしい詩集が多いからだという話もあるんですが、必ずしもそうではないし、1年に1冊ぐらいは純文学的な価値でもって、万部売れる詩集本が出ても本当はいいと思うのね。
だけど、ないんですよ、現実にないから、本当にいい詩集であってもネームバリューがなければ出版はできない(少なくとも本人の負担なしにはできない)誰も知らないから読まれることもない、、という悪循環を作ります。

もうさ、ショウバイにならなくていいんですよ。全部WEBで読んでください、っていう態度のもとに、それでもWEBより本のほうが絶対にいい。 だから気にいったら本も買ってください。っていうほうが現実的な道な気がしてきてるんです。 詩集が高いー>誰も読まないー>費用効率が合わなくて商業ベースに乗らないー>詩人さんの負担が増えて結局詩集ができないー>誰も読めないー>読者も育たないー>詩も育たない。
どっか変ですよね。
現状WEB詩のサイトってのは沢山あります、すでに。だから今度は安価に本で提供できて、それが詩人さんにも負担にならない方式を作ったほうがいい、WEBだけではなくてね。それはなんというのか砂浜に膨大に置いてあるのに等しいから、そこから順に序列化する道をあちこちに作っていかないといけないような気がするんです。
詩誌がやっているのは本当はそういうことでもあるんですが、いかんせん安価じゃあない。利益が必要なシステムだからです。どっかでどうせ利益を諦めるんなら、廉価本でいい。どこで読んでくれてもいい。 現状のような詩集だしたって多分出版社もメリットないんじゃないかと思うんですよ。