るしおる63

斉藤斉藤氏の 宅間被告を扱った詩について
社会派の詩ということなのだろうが、どこか際物だと感じてしまうのは私だけなのだろうか。
るしおる 掲載作品であるのであれなのだけれど(この曖昧な口調は我ながらいやなんだけど、やっぱるしおるっつとそれだけで権威を感じてしまうのは正直認めざるを得ないい。まさに権威主義と言われても仕方が無いのだが、数冊読んだるしおるにある緊張感に尊敬を感じている。)、もしあれがWEBに投稿されたものであったら、あっさり一蹴されておしまいになってしまう可能性が高い。
詩は、宅間死刑囚をめぐる様々な立場からの実際の発言とそれに絡めるように作者のコメントという形で進んでいるが、一読して感じたのは、罪の意味の不安定さともいうべきものであった。犯罪(犯罪者ではなく)の聖別化、被害者の殉教者化、ともみえる周辺の人間たちの反応を基本的には揶揄といっていい感触で扱い、”殺す自由”そのものへ問いかけが進む。そして、その問いかけはほとんど無責任に放たれる。本来、虚構の持つ自由性があまりにも現実を材料としているがために、現実が持っている不自由性へ侵略をしているような危うさを感じる作品だった。


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#うわっつなんか偉そうでやだ
なので、
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